赤 鬼 - akaoni - ガザビ プロデュース公演 Vol.4

日時:2007年4月4日(水)〜4月8日(日)

パンドラ ——赤鬼に捧ぐ

ああ、なんということを。
どうして匣を開けてしまったのかしら。あんなに固く禁じられていたのに。
まっ黒な竜巻が次から次へと。
ああ、すべての邪悪なものが世界を覆ってしまう。心が凍る。  
でもね、でも。
匣の底にとり残された「希望」を送り出したことが、唯一の救い。
そう信じるしかない。
そのとき、
いえいえ、まだここにひとり、おりますわい。
驚いたことに、投げ捨てた匣から、
もう何も残されていないと思っていた匣の中から、
喘ぎ喘ぎ小さな老婆が這い出てきたの。
「希望」なんぞは一人ぽっちじゃあ、なんの役にもたちゃしない。
このあたしが尻ぬぐいしなくちゃ、結構を尽くしたとはいえんのじゃ。
おう、こうしてはおられん。行かねばならぬわい。
「希望」の後を追うように、ずるずるよろよろ、
歩み出す老婆の薄汚れた着物の裾をとらえて、尋ねた。
いったい、あなたは誰?
この婆の名? ふん、名前なんぞ、なんでもよいじゃろが。
あ、いえ、パンドラさま。お止めくださいますな。
あ、だめ。裾を引いてはなりませぬ。行かせてください。
はい、お答えします。
あたしはこう呼ばれておりますです、はい。
最後に物語の幕をおろすもの、
「絶望」と。


ガザビvol.4「赤鬼」に寄せて ——都本 千

「未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に、淪落自体が美でありうる時に、始めて美とよびうる・・・」とは

坂口安吾の「堕落論」の一節です。戦後の混乱のさなかに、ひとり屹立し「堕ちよ、生きよ」と断じた安吾。

それからおよそ半世紀、自らを安吾の生まれ変わりと称する野田秀樹は、あの女の言葉を借りて、こう答えました。

「あたし、食ったよ、そして生きたよ」

美の本質が何なのか、知りません。ただ、以前に野田の演出で観たこの「赤鬼」、私には例えようもなく美しかった。

そして今はこの−例えようもない−なにものかを、ほんの少しでも頒ちあうことができただろうか……。そんな風に思っています。

「希望は美しい。絶望も美しい。だが両者をわけるものは、もっと美しい」(寺山修司『奴婢訓』より)


 

Photo